放浪時代


苦しくなった生活は、甘やかされて育った雨情を精神的に追い込み、 その焦りから海に身を投げようとまでしたが、 海に胸まで浸かった時点で恐怖と寒さで思いとどまり、家族に介抱された。
妻の実家から借金をして、商売をしようとするが失敗。
東京専門学校時代の恩師である坪内逍遥先生に近況の報告を兼ねて、 指導を仰いだところ
 
「大変心配していた。作詞を続けるなら、 田舎の言葉で田舎のよさを歌った詩を作るのはどうか?」
 
との返事をもらい、作詞を続けた。
 
その後、東京に家出同然で飛び出し、坪内逍遥先生の世話になりながら、 新聞記者として生活をしていくが、やがて北海道へ移勤となる。
 
北海道へ引っ越したあと、樺太、札幌、小樽などを移り住み、新聞記者として活躍。
このとき石川啄木と仲良くなり、一緒に酒を飲んでは語り合うようになった。
 
仕事では会社と意見が分かれ新聞記者を辞めることになるが、 職を失ったことで、さらに苦しい生活となってしまい、 長女が生まれたものの栄養失調で亡くなった。
野口雨情の「シャボン玉」という詩は、 夭折してしまった娘を思って作られたとも言われている。

石川啄木 
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(画像・ウィキペディアより)

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